「・・・せん・・・せ・・・?」
「・・・・・・あり・・・が・・・と・・・」
よくよく聞いていなければ、うっかり聞き逃してしまいそうな、微かな囁き声。
喉の奥から必死に絞り出したような声色に、思わず目を瞠り、まじまじと顔を見詰めてしまった。
「え・・・、ど、どうしたの・・・?」
「・・・・・・」
「・・・ね・・・カカシ先生・・・」
「オレを救ってくれて・・・」
「え?」
「・・・本当に・・・本当にありがとうな・・・」
「・・・え・・・そんな・・・別に・・・」
それは、冗談でも何でもない、本当に真情を吐露している声だった。
先生の言葉に戸惑いを覚える。
私にすれば先生を助け切れなかった思いの方が遥かに強くて、そんなに感謝される謂れは、どこを探しても見当たらない。
「私・・・、なんにもしてないよ・・・」
「してくれたよ、物凄く・・・。だから、今こうやって・・・、こうしていられる・・・」
優しく髪を撫でられ、愛しそうに頬を摺り寄せられて、ついうっとりと目を細めてしまった。
なんか気持ちいい・・・。こんな感じ、前にも何処かで・・・。
あ、そうか・・・。あの時の『夢』だ。
夢の中で、私とカカシ先生は恋人同士で。
寄り添って見詰め合っているだけで、蕩けそうなくらいに幸せだった。
今ももし、先生とあんな風に見詰め合えたら、とろとろに蕩けちゃうくらい嬉しいだろうな・・・。
フワフワと雲の上を歩いているみたいに、嬉しくて嬉しくて堪らないだろうな・・・。
どうしよう。ドキドキが止まらない。
身体が・・・心が・・・フワフワ弾んで止まらない―――
「カカシ先生・・・」
「ん」
「私の方こそ、どうもありがとう。またいっぱい、先生に守ってもらっちゃったね・・・」
「当たり前だよ。隊長なんだから」
「うん。でも・・・」
「隊長が隊員を守れなくてどうする。そんなの仕事の内だって」
仕事の・・・内・・・?
なんだ・・・。
仕事だから、私を守ってくれたんだ。
隊長だから、隊員の命を守ってくれたんだ。
そうか・・・。そうだよね。普通そうだよね。
やだな、私ったらなに期待してたんだろ・・・。
あははっ、ホント馬鹿みたい。先生が私なんて相手にする訳ないじゃない。
これだって・・・、こうされてるのだって、先生はきっとそういうつもりなんかじゃない。
私が考えてるような事なんて、絶対カカシ先生は思ってもいやしない。
「そ、そうだよね・・・。隊員の命を守るのは、隊長の大切な仕事の内だもんね・・・」
背中を支えてくれる手が温か過ぎて、余計に辛かった。
胸が苦しい。切り裂かれるように、ジクジク痛む。
一人で浮かれて、一人で落ち込んで・・・。
自分の馬鹿さ加減が、本当に腹立たしい。
出来る事なら、この腕の中から早く逃れたかった。
これ以上勘違いを重ねて、傷口を広げるような真似は絶対にご免だ―――
「まあね。・・・でも、仕事って言うと、ちょっと語弊があるなあ」
「え・・・?」
「んー。むしろ役目・・・、いや、使命かな」
「し・・・めい・・・?」
「そ。約束したろう、サクラと・・・。ずっと傍にいて守ってあげるって」
「・・・・・・」
「一緒に茨の道、歩いてくれるんでしょ?まさか、忘れたとは言わせないぞ」
「・・・あ・・・・・・あぁ・・・」
あの時の身勝手な約束・・・。
まさか憶えていてくれたなんて・・・。
びっくりした。
びっくりし過ぎて、涙がポロポロ零れ落ちた。
照れ臭そうに笑う先生の肩に無我夢中でしがみ付きながらも、「ひょっとして、私はまだ夢を見ているのかも・・・」と、頭の中は激しく混乱していた。
やっぱり私は夢を見ているんだ。絶対そうに決まっている。
きっとまだ私は、先生の枕元で、うたた寝をしたままなんだ。
もしかしたら、先生が元気になったのも夢なのかもしれない。
だって、こんなに・・・。
こんなにも嬉しい事が、立て続けに起こるなんて・・・。
「ほ・・・ほんとに・・・?」
「ああ、本当だよ」
「ず・・・、ずっとずっと、傍にいてくれるの・・・?ずっとずっと、私を守ってくれるの・・・?」
「サクラがそれを望むならね」
「・・・せん・・・せ・・・」
「男に二言はないよ。だから、サクラもよろしくな」
「え・・・?」
「オレの事、しっかり守ってくれるんでしょ。期待してるから」
キュッと、また腕に力が込められる。
ぎゅうぎゅうの拘束感と、絶対的な安心感。
良かった・・・。この感じ、やっぱり夢なんかじゃない。
痛いほどの不自由さが、今はとにかく心地良い。
今この瞬間、私は世界中の誰よりも、絶対絶対幸せに違いない。
シンデレラだって白雪姫だって尻尾を巻いて逃げ出すくらい、私は世界一幸せに違いない。
「い、茨の道なんか全然平気・・・。そんなの・・・私、気にしないから・・・」
「ははは、そうだろうなあ・・・。なんたってお前は、茨どころか鉄条網だって、いとも簡単に引き千切っちまうもんなあ」
「ああーっ!あれはぁ・・・!」
「あんな障害を物ともせずに、ずんずん前に突き進んでいくお前を見て、正直惚れ直した。・・・うん。あれは、なかなか格好良かったぞー」
「あ・・・だから、あれは・・・」
や、やだ・・・。よりにもよってあの話・・・。
真っ赤になって俯く私の髪を、気持ち良さそうに指で梳いて、また静かに、カカシ先生が頬を摺り寄せてくる。
唇で髪を咥え、サラサラと何度も繰り返し弄ぶ。
その感触に、思わず背筋が痺れ、ゾクゾクと震えが湧き起こった。
え・・・ど、どうしよう・・・。
僅かに身震いした私をしっかりと受け止めるように、カカシ先生の腕に力がこもる。
これ以上ない密着感に、頭の中が真っ白になって途端に息が詰まった。
困ったな・・・。どうしても上手に呼吸が出来ない。
カカシ先生の腕の中で、物の見事に溺れている私。
身を捩ってもがけばもがくほど、カカシ先生の腕に搦め取られていった。
「サクラ・・・すごいドキドキしてる」
「え・・・だ、だって・・・」
「こんな事されて、嫌か?」
クスッ・・・と耳元をくすぐられて、反射的に身を竦めてしまった。
先生の吐息がクラクラするほど扇情的で、思わず気が遠くなりかける。
湧き上がる期待と・・・抑えようのない不安と・・・。
今の私を天秤に掛けたら、一体どっちに傾くんだろう・・・。
真っ赤な顔を見られるのが恥ずかしくて、ぎゅっと肩に顔を押し付けた。
何かを探し当てるように、また先生の唇がゆっくりと彷徨い始める。
本物のカカシ先生は、夢の中のカカシ先生よりずっとずっと大人で、ずっとずっと力強くて・・・、とんでもなく刺激的過ぎた。
「せ・・・んせ・・・」
今にも破裂しそうな自分の鼓動に酷く戸惑っている私を、カカシ先生はどう思っているんだろうな・・・。
やっぱり子供だって、笑っているのかな・・・。
「サクラ・・・、顔、上げて・・・」
眩しい思いで、僅かに顔をずらす。
頬が触れ合って・・・。鼻が擦れ合って・・・。
降りかかる息の熱さに激しい眩暈を覚えて、思わず胸にしがみ付くと、仰け反るように身を反らした。
額や目蓋に、先生の唇が柔らかく降り注ぐ。
睫毛を弾くように唇が走り、滑るように頬を掠める。
カカシ先生・・・。
いつの間にかあなたに恋をして、気が付けば、無我夢中であなたの後を追いかけていた。
叶わないと分かっていても、私だけにその笑顔を向けてほしいと、その背中に何度も願った。
あなたに、逢いたくて逢いたくて――
熱に浮かれたようにあなたを想い、眠れぬ夜を明かしたあの日。
ほんの少しだけでもいいから、あなたの傍に近付きたかった・・・。
しっとりとした熱が、ゆっくりと唇の端を捕らえる。
零れる吐息を掬い上げ、啄むように弾力を確かめ合って。
そして・・・
先生の世界と私の世界が、ピタリと静かに重なり合った。
魂が震えるような恋をして、私は少しだけ大人になった。
差し出された大きな手に、全てを委ねる心地良さを知った。
ずっと追いかけ続けた大きな背中は、安らぎに満ち溢れていて。
そして、私はほんの少し・・・あなたの傍に近付けた。